私が見る今の日本

 これまで私は、日本社会というのはギリギリのところでもっている状態にあると思っていた。しかし、2021年はそのような認識を改めるきっかけとなる年となった。つまり、日本社会はとっくに壊れており、ただそれを覆い隠しているだけなのだと。

(2021年の日本)

 経済について言えば、日本の実質賃金は1997年以来ずっと下がり続けている。労働生産性最低賃金など他の経済指標についても先進国中最下位レベルに近づいている。アベノミクスは「第3の矢」である成長戦略がうまくいかず、株価だけが上昇し富裕層と貧困層の間の格差が拡大するだけだった。そして、経済政策失敗の尻拭いをさせるかのように、東南アジア出身の技能実習生を劣悪な環境で働かせ、古い産業を維持している。

 国内政治について言えば、安倍・菅政権はモリカケ桜問題、厚労省不正統計問題、広島での大規模買収、日本学術会議問題などで隠蔽や改竄を繰り返し、政治の信用を失墜させた。一方で、立憲民主党など特定の野党については与党を批判するだけで具体性のある国家観も外交・安全保障政策も示すことが出来ず、今回の衆院選では惨敗に終わった。

 外交については、中国が国際社会において台頭する中で、未だにアメリカへの過度な軍事的依存から抜けだすことができていない。中国や韓国、ロシアとの領土問題についても進展する気配はない。北朝鮮による拉致問題についても同様である。

 1年延期で開催されたオリンピックでは、日本は史上最多のメダルを獲得した。しかし、新国立競技場の建設をはじめオリンピックの開催のために巨額の税金が使われた。一方で、コロナの影響により海外からのインバウンド観光客は訪れず、有観客での開催もできなかったことでほぼ国に経済的恩恵がもたらされることはなかった。代わりに一部のIOC関係者が多くの利益を得た。また開催に至るまで不祥事が相次いだ。

 コロナ対策では、政府は医療整備を最優先せず三密やクラスターに固執した。飲食店などには営業の制約を行うだけで適切な補償はなされなかった。また、マスコミや政治家が不安を煽ったことで、感染によるリスクを考慮した上でコロナ禍以前の日常を取り戻そうとする動きは封じられた。そして、コロナによる影響で経済的に困窮した人達や、うつ病になってしまった人達などは今もないがしろにされたままである。

 2ちゃんねるや、ヤフーコメント、ツイッターなどネット上には、既に存在していた自称保守、自称リベラル、自称フェミニストなどのほか、コロナの感染拡大が始まってからは自粛警察やゼロリスク信者と言われるような人々も加わったことで、さらに意味もなく排他的で感情的な議論が横行し、もはや言論空間の場として機能していない。

 さらに、教育予算・教育水準ともに先進国最低レベルであり、旭川市や町田市で起こったような凶悪事件を食い止めることができない。子供の貧困率はG7の中で最も高い。パパ活と呼ばれるような売春も流行している。パワハラやセクハラ、モラハラによって引きこもりになったり精神病を患ったりする人の数も多い。また、デジタル化などの変革も他の先進国と比較すると進んでいない。女性政治家の数も少なく、男性の育休取得率も低い。若者の政治参加への意欲も低い。少子高齢化も加速している。

 このような現状を見て、「それでも日本は殺人事件が少なく、街が綺麗だからいい国だ」などと言えるだろうか。「日本はまだもっている」と言えるだろうか。私は言えない。

(日本人の国民性)

 では、なぜ日本は現在のような状況に陥ってしまったのか。

 日本は戦後、9条・安保体制と1ドル360円に固定された為替相場のもとで高度成長を遂げた。しかし、19859月のプラザ合意の後は円高不況が起こり、バブルが発生し崩壊、そして「失われた三十年」に突入した。そこから抜け出せなかったのは政府や財務省の経済政策が間違っていたからであることは確かである。しかし、日本が衰退した原因はそもそも日本人の国民性にあるのではないか。

 日本人の国民性としてよく指摘されるのは、形ばかりの偽りの「敬意」や「謝罪」の強制、過剰な同調圧力、自分の頭で考えずただその場の空気に従うこと、などである。これらは、日本人の持つ「勤勉さ」として年功序列や終身雇用などの制度と合わせて日本の高度成長の要因だと見なされてきた。さらに、日本人は他国の人たちよりも優秀だという幻想も生まれた。しかし、今の日本には自分の地位が危うくなることの恐れから成果主義を否定し、自分が定年するまで地位を維持することだけに頭を使うような人間ばかりが存在し、経済では急速な発展を遂げたアジア諸国に抜かれつつある。それにも関わらず、テレビでは「日本スゴイ」と自画自賛するような番組が未だに放送されている。これはテレビ局も視聴者も現状が正しく認識できていないからだろう。

 戦時中も軍上層部は、客観的な現状分析を行わずに、ひたすら権益を最優先し非現実的な作戦を強行した。その結果、多くの国民の命が犠牲となった。コロナ禍の現在においても、政治家や官僚、医師会や分科会の上層部、特定の大企業幹部らは国民の命ではなく自分たちの持つ巨大な既得権益を守るのに必死だ。つまり、日本は戦後何十年と経った現在も変化していないのである。しかし、そもそも多くの国民は「自分は困ってないから今のままでいい」と変化を望んでこなかった。そして、そんな自己中心性こそが日本人の本質ではないだろうか。この自己中心性を克服しない限り日本社会がこれから上向くことはないだろう。つまり、GAFAクラスの企業はこれからも出てこないだろうし、奇跡的に出てきたとしてもすぐ立ち行かなくなるだろう。まともな政治家も出てこないだろうし、出てきたとしても有権者はその政治家を選挙で選ぶことができないだろう。人種差別や気候変動の他これからどんな問題が出てくるにせよ外圧がないと解決ができないだろう。

(これからの日本)

 衆院選で大勝した自民党の岸田首相は半導体人工知能(AI)の研究開発、カーボンニュートラルの実現、デジタル化の推進など成長戦略を掲げる。しかし、新しい産業を成長させたり、産業構造を変えたりする力がこの国にまだあるのだろうか。5Gや自動運転の特許数など次世代テクノロジーの面では中国に大きく水を開けられている。アメリカのベンチャーキャピタルへの投資額は日本の何十倍にものぼる。そんな状況の中で日本企業が今後、世界で存在感を示すことができるのだろうか。自民党総裁選や衆議院選挙の様子を見ても、政治家が危機感を抱いているようには全く感じられず、「自分たちの考えた政策を着々と実現していけば日本は良くなる」と国の将来を楽観視しているように思える。一方で、現実を直視している一部の若者や、国に未来を奪われた一部の氷河期世代の人々などは自分の将来にも国の将来にも悲観的にならざるを得ないだろう。そのような人達が愛国心を持てなかったり、コロナで社会全体がダメージを負ったことに対し「ザマアミロ」と思ったりするのは全くおかしいことではない。

 私は、日本は自分の生まれ育った国であるから当然政治も経済も文化も何もかもよくあって欲しいと思っているし、世界で一番良い国であって欲しいと思っている。しかし、その望みは叶いそうにない。日本はいい国だ、他の国よりマシだなどと言っている間に国は衰退を続けてきた。これからは日本人が当たり前のように誇ってきた治安や衛生水準も悪くなっていく可能性がある。それらを保ってきた人たちを社会が冷遇するからだ。これまで私の上の世代の人間は様々な問題を先送りにするだけで何もしてこなかった。これからもそれが続くのであれば、やがてこの国は無くなるだろう。